現象がぶっ壊れ気味の日々です。あと数日〜1ヶ月くらいで決壊しそうですね。
単調な繰り返しになっていた日常が1年くらい続いたんですが、時折破天荒な縁起の引き寄せがあって今もまた変化していますね。

目標があるのでコミットメントを重視して環境を変えていってます。やり方が強引すぎるので、エゴの残滓の反動がでかいです。
身体的には眠気がとれない、もやっとするなど。
ただ禁欲と今までの細かい実践歴や知識、気功による丹田強化によって培われた大きなボディがあるのでかなり化けると思います。

そうとう客観的に自分を見ています。未来の視点から。
そろそろ表舞台に身一つで立って変えて生きたい部分もあるので、その通過儀礼だと思ってます。
3年くらいかけて。ちょうど潜在意識や引き寄せを知って10年ですね。。

長いと捉えるかあっという間かと捉えるかは賛否両論ですが、当時のイメージとだいぶ近いのですべて予定調和だとおもっています。
大丈夫です。

さぁそれではまた。
小さな成功を積み重ねるって大事と思います。ね。

こと禁欲に関しては何か目標とセットにするといいですね。
x日我慢できたらyするというふうに。
どんどんそれを目標値として高いものに設定していって、
xがどんな値だろうと
yしようがしまいがいいという境地になるまで。

その時には長期も短期も大差なくなってます。

あえて目標日数は掲げなくなりますが、
今はあえていうなら(今8日目くらい)90日をノー射精にします。
実在としての小周天を自覚するまで繰り返し座ります。

大したことはやらないですが、そうしたいようにそうする取り組みを繰り返します。
小さな10という成功を100回繰り返せれば1000ポインツ
マトリックスのど真ん中、エゴの集積最下層からこんばんは。

休日だったのでフェイスパックしてました。いや、まじでメンズでも化粧水かアフターシェイビングローション、パックはした方がいいかもですよ。
よほどの乾燥肌でない限り、乳液とか細かく使いわけなくてもいいでしょうし、
メークしなければ上に乗るものもないのでケアと適度の日光浴を楽しんでいけばいいのかなと。
30歳を前にすると色々ボディケアに気をつかっていきたくなります。

禁欲12年目を迎えるわけですが、ついに集大成の1年となるでしょう。
6,7年目はスピリチュアルな側面がクローズアップされましたし、8,9年は一旦身体的に戻って行ったりもしました。
10年目以降は統合ベクトルへと向かっていったように思います。


もうエゴはもたない、そう感じます。否が応でも感謝や実際にある今=幸せへと気づかせる現象が頻発しています。
ここ2、3週間色々と観察して動いて見ましたが、パラレルシフトや過去改変(のように見える)なども実際のありようを
反映する光景として現象に現れてきています。

どんどん穏やかになっています。
同時にどんどん切羽詰まってきてもいます。

非常に幸せな中心部を忘れずに、あろうと思います。
今年に入って7回目のリセットです。
女性との行為ですね。全部。

月に2回弱ですので、年平均と比べて今の頃6倍くらいのペースです。
日記に日数カウントも一応しているんですが、久しく90日とか書いてないです。

日数と効果の相関はあるんですが、ある程度までで正比例するわけではないので。
とはいうものの、ある程度のダメージはあります。
いわゆるあげまんというか、いい気の交換の延長にある射精で、かつ春から初夏にかけて
風がそれほど強くない曇天から晴天までのとき、満月、新月以外の日においての射精や性行為は
むしろプラスのフィードバックを生むことが多いです。

あと自分の子供とか考えたことなかったんですが、父性が目覚めてきた気がしますw

僕は多くの人が既にとても豊かな経験のストックがあると思っています。
いいところのレストランで食事をした経験や、素敵な人との一夜や、大好きなアーティストのコンサートなど。
思い出すだけでにやけるような瞬間。エンドルフィン、アドレナリン全開の多幸感。

それはそれで素晴らしいし、これからもお金や人脈を使って手に入れることができるでしょう。
増えれば増えるだけ幸せなメモリーは増えます。

でもそれを補ってあまりあるスーパーリッチがものすごい身近にありました。そしてそれはもうやってこない瞬間。
誰もが当てはまるわけではないですが、小学校の夏休みが典型的に顕著なそれです。

まだ叶っていないのに、何か新しいワクワクがやってくるよろこび。
知ること自体が面白く、退屈や理不尽がありながらもそれを努力して乗り越える力があることへの気づき。
遠い昔にインプットして、大人はほとんどみんな忘れている記憶も持っていながら、
常識に縛られず不思議な体験もしょっちゅうしていて、それを笑わないで聞いてくれる友達も家族もいた。
欲しければ不思議となんでも手に入り、冬の寒さも夏の暑さも彩りを豊かにする感性を刺激する演出で不快なものなどではなかった。

無限の富を凌駕するそういう鮮明な体験とその記憶を既にもっている。
新しく手に入れることはできないけれど、なくすことはない。
刺激を追い求めること、量的に増やすことを放棄すれば、手に入れられない未来を恐ることは何もない。

そしてその破天荒でめちゃくちゃな無限のワクワクを、小学生の夏休みをそのまま生きているような。
自分とその周りの人たちを今活き活きと描きだすことができます。

僕にとっての願望達成とは特定のものを得ることや
特定の人と特定の関係にあることとは少し違うことに気づきました。

それは生後的に社会的な文脈に基づいて派生的に生まれた欲求の延長にあり、
必ずしも生命の表現や魂の要求と合致するとは限らないと気づきます。

これがここ10年で実感した願望のミスマッチです。
それは望んでいたことが実現した時に微妙な違和感として感じられます。

特定のラインへとスライドすることはエゴが考えるほどには困難ではないです。
ただ理屈でこね回したり、自分の行動を思考でもってふりかえるようなやり方では魂の要求は掴みきれないです。
ヒプノや深いリラクセーションなどで潜在意識と顕在意識の境をなくしていく手放すアプローチでいけば、
ある程度意識を無意識化していくことはできますが、常には難しいでしょう。

なのでざっくりと特定の時間域、特定の位置にいることを魂の体への要求と
頭で理解した上での心の感情というセンサーに敏感でいることをアプローチとします。

そして実存としての時空域は今、ここ以外にありえないので事実上すること、
できることは殆どないということになります。強いて言うなら安心することくらいでしょう。

はれてミスマッチの葛藤とはオサラバです。
時折やってくる不安や不満などは幻想としてゆるやかに流す、消化する、言語化することができるようになってきます。
希望や喜びも実態はなくても味わって流して、伝えて共有することもできるようになってきます。

それが起こっていることがリアルで、捉えようとしないでふわっとしていることでオールライトです。